様々なヴィジョン ヨーロッパのカトリック世界 17世紀後半

様々なヴィジョン ヨーロッパのカトリック世界 17世紀後半

 

美術の歴史は、スタイルの歴史だそうです。

そして、そのスタイルは、いち早く建築に現れていたそうです。

教会の権威を表すため、教会という建物を芸術的にし、人々の尊敬を集めたかったとか。

 

10世紀末から12世紀初頭には、ロマネスク様式が流行したそうです。

こちら、ピサの斜塔です。

 

 

 

 

 

ロマネスク様式の特徴は、円形アーチ、壁が厚いなどだそうです。

窓が、この時代はなかったのでしょうか?調べたのですが、わかりませんでした。すみません。

 

そして、次、12世紀半ばから15世紀までは、ゴシック様式が流行。尖塔アーチと、技術が発展して、大きな窓が作れるようになり、その窓には色とりどりのステンドグラスが。そのステンドグラスで、聖書の物語が描いたそうです。文字の読めない方にも、聖書の物語を説けるようになったとか。

こちら、パリのノートルダム寺院です。

 

 

 

そして、ルネサンス様式。15世紀から16世紀まで。

古代ローマを手本とし、円柱やアーチ、ドームを作り、外壁には模様が入れ始められたそうです。

こちら、

 

 

 

 

16世紀から18世紀前半までが、過剰なまでの装飾で有名なバロック様式。お金がたくさん必要だったとか。とてもスケールの大きな作品が多いようです。

ローマのトレヴィの泉です。

 

 

 

 

最後に18世紀に流行したロココ式。

これは建築ではなく、インテリアに流行したそうです。左右対称が基本で、身近な人との心温まるひと時を願ったとか。

 

 

 

 

では、17世紀前半のヨーロッパのカトリック世界を覗いて見ましょう。

この時代、ローマの教養人たちは、同時代の芸術家達の様々な運動について積極的に論じたそうです。そんな中で、注目を集めていたのが、カラッチVSカラヴァッジョでした。

 

カラッチは、ヴェネチア派とコレッジョの流れを汲む一派に属し、あの理想日を追及したラファエロに魅了されていたそうです。カラッチはラファエロの美術に意識的に反対したマニエリストとは違い、ラファエロの明快な美を復活させようとしたそうです。

そして、ローマにおいて、カラッチ一派のスローガンは、古典美を復活させることだったそうです。

そんなカラッチのピエタです。

 

 

 

 

一方、カラバッジョは、醜さを恐れず、自然を忠実に写し取ろうとしたそうです。

カラヴァッジョの聖トマスの不信です。

 

 

 

 

 

使徒たちは、今までの描かれた優雅な使徒たちとは全然違います。日焼けし、額はしわだらけ。しかし、カラヴァジョに言わせると、聖書に描かれている通りに描いたそうです。

 

 

 

 

 

では、他の画家を見てみましょう。

カラッチに続いたグイドレーニです。

ラファエロと並び称された時代もあったそうです。

グイドレーニのアウローラです。

 

 

 

 

こうして、カラッチ、そしてカラッチに続くグイドレーニを始めとする後継者たちは、古典古代の彫像を基準にして自然を理想化し美化する手法を定式化したそうです。

アカデミックな手法と呼ばれるそうです。

そんなアカデミックな手法の頂点にたつのが、ニコラプッサンです。

プッサンアルカディアにも我はあり、です。

 

 

 

 

そして、ここで、ローマの風景画を研究したクロードロランを見てみましょう。

アポロへの生贄の見える風景

 

 

 

 

自然の美へ、人々の目を開かせたのが、このクロードだったらしいです。

余談ですが、クロードロランの絵のような風景に出会うと、人々は、素敵な風景だと言ったそうです。

 

 

 

 

 

そして、今話題のリュベンスが出てきます。彼は、フランドル(オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部の地域)出身で、カラッチ派にもカラヴァッジョ派にも属さなかったそうです。リュベンスが興味を持っていたのは、変化に富む物の表面をどう表すかだったそうです。

また、イタリアの画家が神聖視していた美の基準にも捉われず、権威ある主題にもあまり関心がなかったそうです。

そんなリュベンスの聖母子と聖人たちです。

 

 

 

 

リュベンスは、色彩溢れる巨大画面を構成する能力と、そこに生命を吹き込む才能を兼ね備えていたため、画家としての名声を得たそうです。宮殿を豪華絢爛たるものにし、世俗の権力を褒め称えるのに、リュベンスの絵はうってつけだったとか。

 

そんなリュベンスの、子どもの頭部

 

 

 

 

 

リュベンスの自画像

 

 

 

 

ネーデルラントは、オランダとフランドルに分かれていたそうです。オランダは、カトリック支配に抵抗し、フランドルは、スペインカトリックに忠誠を誓っていたそうです。

リュベンスは、カトリック界の寵児となりました。

 

リュベンスは寓話的な絵も描いています。

こちら、戦争と平和の寓意です。

 

 

 

 

 

そして、リュベンスには、アントーン・ファン・デイクという弟子がいました。

あまり健康ではなかったとか。

リュベンスとは異なり、気だるく物憂げな雰囲気漂う作品を残しています。

こちらは、チャールズ一世です。

 

 

 

 

そしてこの時代、あのベラスケスが登場します。

彼はカラヴァッジョに深く感銘を受け、自然主義の手法を吸収したそうです。

そんなベラスケスのセビリアの水売りです。

 

 

 

 

ベラスケスの有名なラス・メニーナスです。

 

 

 

 

 

自然の鏡  17世紀オランダ

 

少しだけ歴史を。

ネーデルラントとは、現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの低地地域内に存在した諸邦群のことです。17世紀、今、ベルギーと呼ばれている南ネーデルランドでは、カトリックの支配でした。一方、ネーデルランドの北部、オランダでは、多くの裕福な商人たちがプロテスタントを信仰したそうです。倹約をよしとし、南の趣味を受け入れなかったそうです。

 

宗教改革によるプロテスタンティズムの勝利は、建築よりも絵画に強く影響を与えたそうです。

プロテスタントが勝利したイングランドとドイツでは、画家や彫刻家たちは仕事を失い、魅力的な職業ではなくなっていったそうです。

 

そんな時代の画家、ハルスの聖ゲオルギウス市民隊の幹部たちの宴会です。

 

 

 

 

 

ピーテル・ファン・デ・ブロッケの肖像

 

 

 

 

また、美術史上、初めて、空の美しさを発見したのは、この時代のオランダだそうです。

シモン・デ・フリーヘルの絵画です。タイトルはわかりませんでした。すみません。

フリーヘルは、海洋風景の専門家だったそうです。

 

 

 

 

そして、風景画のヤン・ファン・ホーイエンの川べりの風車です。

 

 

 

 

同じく風景画を描いたクロードロランと同じ年代です。

クロードロランのアポロへの生贄の見える風景です。

 

 

 

 

ホーイエンは聳え立つ神殿の代わりに見慣れた風車を描き、夢のような森の中の沼地の代わりに、ありふれた近隣の情景を描いています。

 

クロードの絵は、イギリス人の想像力を虜にし、身の回りの自然に手を加えてクロードのような絵にしたそうです。そして出来たクロード風の庭をピクチャレスクと呼んだそうです。

 

しかし、身近な風景の中に美しさがあることを始めて教えてくれたのは、ホーイエンでした。

 

そして、あのレンブラントが登場します。

裕福なお家に生まれたレンブラントは、学問を捨て、画家への道を選んだそうです。

レンブラントの自画像。

 

 

 

 

 

ヤン・シックス

 

 

 

 

ダヴィデとアブサロムの和解

 

 

 

 

レンブラントは光と影の魔術的効果を利用したそうです。

 

 

 

 

また、レンブラントは画家としてだけでなく、版画家としても才能を発揮しました。

こちらは、教えを説くキリストです。

 

 

 

 

レンブラントは、自然主義カラヴァジョの影響を受けた画家を通して、カラバッジョに触れていたそうです。醜さを恐れず、真実と誠実さを大切にしたそうです。

 

 

 

 

 

そして、今話題のフェルメール17世紀オランダの画家です。

 

牛乳を注ぐ女